自由のドア

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『関係人口の社会学』ついに校了しました…!

『関係人口の社会学』先週の26日についに校了しました…!苦しかった(涙)最後、索引の直しがたくさんでゲラが真っ赤でした。連絡や返信、発信などあまりできていなくて心苦しい限りですが、明日あたりから復活していきますのでお許しください。来週からAmazonで予約できるようになるのではないかと思います。店頭に並ぶのは4月下旬の予定。またお知らせします。

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ここからは半分以上、愚痴なのでご興味ある方だけ…

「とにかくこの8年、私は寝ても覚めてもこの本を完成させることだけを考え続けていた。この本一冊のために、一度もさわやかな朝食を口にしなかった」

名著『北の無人駅から』(渡辺一史)の「おわりに」にある一文。さすがに8年間ということはないですが、書籍原稿を抱えているときは、これに近い感覚というか、いつも頭の片隅に原稿があって、あんまり心が休まらないので、激しく共感します。

その中でも、校了という作業は特につらい。校了というのは、これで良し!終わり!って意味ですが、どれだけ見ても、見直せば見直すほど、間違いや論理破綻が見つかって、どんどん自信がなくなってきて、これ面白くないのでは…とか、読む人いるんだろうか…間違ってたらどうしよう…みたいに不安になってきます。

それなのに、校了しないといけないのです。良いわけない…と思いながら、それでもこれで良し!って決める。怖いし、矛盾に満ちた行為だなと感じます。だから本を出すのはいつも怖いし、自信がないです。でもそうやって世に送り出されるから本なのかなと、校了こそが本を本たらしめているのかもしれないとも思うときもあります。書き終わったときには、もう書きたくない気持ちでいっぱいなのですが、そのうち忘れて書いて苦しんで後悔する繰り返し…