自由のドア

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「広告」はもはや「広告」ではない?

運営に携わっているジャーナリスト教育センター(JCEJ)が主催する「カンヌ審査員による『伝わる』コミュニケーション講座」が4月1日、東京都内で開かれました。講師は、ちょうどこの日から独立された佐藤達郎さん(コミュニケーション・ラボ代表/多摩美術大学教授)。その様子をお伝えしたいと思います。

ラブレターはもう古い…

これまでは「広告はラブレター」と言われてきました。商品の良さと使ってほしい気持ちをいかに相手に伝えるか、それが、広告だったからです。

でも、佐藤さんは投げ掛けます。「広告=ラブレターは正しいのか、この前提が崩れているのではないか?」。それは、ラブレターの受け手、消費者側の変化があります。消費者は、情報があふれている現在、すでにいわゆる「ラブレター」がたくさん届き、すでに「モテモテ」なのです。そうした中では、いきなりラブレターを送りつけるより、まずは楽しんでもらう、そういう時間を一緒につくりながら、好きになってもらう。こちらの方がより好きになってもらいやすい、ということですね。ラブレター型から関係育成型へ。広告も、こんなふうに変わってきているということでした。

そういう中で、大切になってくるのが、佐藤さんいわく「良いところを露骨に主張しない」。既にモテモテな女子(※男子でもいいですが)に「オレって頭よくって、性格もいいんだぜ、キラリ」みたいなこと言われても、確かにドン引きですよね(笑)。そうなると、どんどん「広告」らしい「広告」は伝わらなくなり、意図的に広告らしさを排除した「非広告型広告」に移ってきているのだそうです。


こうした時代のキーワードの一つに佐藤さんが挙げたのが「Talkable」です。人に話したくなる、という感じでしょうか。そのためには「買わせよう」という意図が伝わったり、簡単に納得されたりしてしまうと、消費者は人に話したがりません。村上春樹の「1Q84」があれほど分かりにくいのに、話題になったのは、分かりにくいからこそ、と考えると、納得です。わざと隙をつくり、完璧を目指さないことも大切とのこと。このため従来の「クオリティ」という考え方もかなり変わってきている、とのことでした。ある意味、何でもあり?広告の可能性を感じる反面、そうなると広告(非広告型広告)って一体何なのだろう??と、分からなくなってもしまいました。

コピーを転がす

続いて、お決まりのワークショップです。
まず、表現の後ろにある背景を読み取る、というもので、何本かCMを見て①広告目標②発信者の伝えたいポイント③どんな工夫で受け手に伝わりやすくしているか④うまくいっているかどうか、それはなぜか…を書き出すものです。こう考える癖をつけると、モノを考えるときに参考になるとのことで、確かに役に立ちそう!と頷きました。

2つめは、コピーに挑戦!ワークです。
佐藤さんによると、コピーは「what to say(伝えるべきメッセージ)」×「how to say(言い方の妙)」で成り立っているとのこと。whatは切り口や視点の発見、howは対比や韻、洒落など表現方法の工夫。うまいコピーは両方兼ね備えているそうですが、自分でつくるときは、2つに分解して考えるとやりやすいそうです。

そして、お題は「被災地への寄付を勧めるコピー」。ううむ、難しい。手が止まるのを見透かすように、佐藤さんから「頭で考えているより、とにかく手を動かして、書いてみる方がいいよ」とアドバイスがありました。業界用語では「コピーを転がす」というのだそうです。

以前、JCEJで知り合ったコピーライターの方が「若い頃は、1つのコピーを考えるのにミカン箱2つくらい案を考えた」と言っていました。私も新人のころはたくさん原稿を書き直しましたが、それでもミカン箱2つまでとはなりません。新聞業界とは違うスケールに驚いたのを思い出しました。

佐藤さんが「誰か発表してみて。コメントするから」と促すと、佐藤さんに見てもらえるというめったにない機会だからでしょうか、次々と手が上がります。「いつものおいしい日本酒のお礼です」「今苦しんでるのは、あなたが旅先で話した彼女かもしれない」などと発表があり、佐藤さんは「日本酒好きには響くかも」「視点の発見の方だね」などとコメントしていました。

小心者の私は手が挙げられませんでしたが、ちなみに、こっそり公表すると、考えたのは「思いは誰にも見えないけど、寄付金は見える」。ACが流しているCMの「心は誰にも見えないけど、心遣いは見える。思いは誰にも見えないけど、思いやりは見える」の変形です。佐藤先生、いかがでしょうか!