自由のドア

島根、ローカルジャーナリズム、ときどき鉄道

人間の数だけメディアがある

運営に関わっているジャーナリスト教育センター(JCEJ)の発足記念として、2月17日から、3連続講座+ワークショップを東京都内で開催しました。

第2弾は「ユーザーに刺さるメディア経営」と題して、アイティメディア創業者・元取締役会長の藤村厚夫さんがお話してくださいました。

今回、もっとも〝刺さった〟のは、藤村さんがズバリおっしゃった「自分がメディアを創り、メディアに参加する時代」との言葉。「ああそうだよね、それでいいんだ」。かつてのマスメディアとイコールになりがちだったメディア観の変質を再認識する、ストンと胸に落ちる心地よい感覚を味わうことができました。

藤村さんは、21世紀型のメディアビジネスを考える上で助けとなる考え方として、メディアとコンテンツを分けることを提示しました。
メディアとは、情報を運ぶ媒体であり「器」。コンテンツが、読者が接し価値を感じる「情報」。以前は、新聞、テレビ、雑誌のように、器が、コンテンツ価値を代表していましたが、今起こっていることは、器とコンテンツが分離可能になり、例えばネット上で、さまざまなコンテンツが生成、流通される。器からの分離が、メディアビジネスの多様化を引き起こしつつある、ということです。

その上で、メディアビジネスが直面するインパクトについて(1)景気後退で産業としての基盤が揺らいでいる(2)ソーシャルメディアの登場で、面白いことは「君や僕」から生まれている(3)PCからスマートフォンへのシフトで、24時間メディアに接点が持て、すぐに受信、発信が可能になる…という3つを挙げました。

特に(2)について、従来メディアとソーシャルメディアとの違いについて、従来型は「種類は少なく読者は多い、上意下達、品質は一定型」なのに対し、ソーシャル型は「種類多く読者は少ない、等身大型、品質は不均衡でオピニオンは自由」と明快に解説。思わず分かりやすい!と頷きました。

これらを踏まえて、藤村さんは言い切りました。「人間の数だけメディアがある。意見がはっきりしている方が面白いよね」。確かにそうです。

続けて、「みんなのため」のメディアは、紙や電波の物理的な制約によって成立しており、今後は縮小し消滅していく。一方通行の情報提供は魅力や価値が薄れ、そのときその文脈にフィットした情報の受発信、つまり、一人は全員に、全員は一人に、が実現する。こんな見通しも披露され、「これからのメディア考えるには、発想定義をがらっと変える必要がある」と訴えました。

また、印象的だったのは、経営上どうしても人件費が最大のコストであるという中で、人を減らすのではなく、ひとりひとりのパフォーマンスを倍にすることを考えている、と、にこやかに語っておられたこと。経営者としての「矜持」を感じました。

続いて、JCEJ恒例のワークショップです。
今回のお題は、それぞれが「マイメディア」を考えるというもの。まずは▽メディアの名前▽顧客▽クライアント▽ビジネスモデル▽コンテンツ…の欄が設けられたワークシートに参加者が書き込み、4人一組で話し合いました。

グループごとの発表では、タイムセールなど町のスーパーの情報を伝えるメディアや、芸能ニュース版ウィキリークス(密告サイト)、ドリームオークション、喪主向け情報ポータルサイト・その名も「モヌシイ」(※なんと「ゼクシイ」に対抗しているそうです)など「あったら面白い!」と目から鱗の新しいメディアが続出しました。

実は、冒頭、会場からの質問で「著作権はどうなりますかー」と手を挙げた人がいました。ここで良いアイデアを出し、誰かにパクられたらどうするのか、という心配でした。そこで、JCEJ代表委員の藤代裕之さんが放った一言が「動いた人が強い」。動いた者勝ち、後から「あれは俺のアイデアなんだよねー」というのはかっこわるい、とのことでした(笑)

ひとりひとりがマイメディアを持つ時代。今日のアイデアが少しずつでも花開けば、世界はもっと豊かになるかもしれない、とわくわくしました。

藤村さん、ありがとうございました!