自由のドア

島根、ローカルジャーナリズム、ときどき鉄道

諦めが悪くて、ありがとう

新型コロナウイルスのことばかり書いていましたが、ところで、最近の私はどうしているのか、仕事をしているのか… はい、実は、3月に提出した博士論文を出版してくれる出版社が決まりました…!!なんてありがたい!!!

もちろん、何事もなく進んでいけばですし、新型コロナウイルスで想定外のことも起こりうるので、油断は禁物…ですが、まずはほっとしつつ、感謝しながら、しっかり進めていきたいと思っています。しかもとてもステキな編集者さんでうれしいです。

というわけで早速、4月は、出版に向けて原稿を大きく書き換えていました。博士論文は論文なので、そのまま出版するとどうしても読みにくいところがあるということでの改稿作業です。でもこれがやっぱりしんどいんですよね…

このブログの読者の皆さんなら、もう聞き飽きていると思うのです。しんどい、苦しい、辛い。と言いながら、それでも書いている私。いったい何なのか、そんなに苦しいならやめればいいのに、と我ながら思っていましたが、その謎が解ける記事を発見したのです!だからそれを共有したい!ということでブログ書いてます。

こちらの記事です。

note.com

詳しくはぜひ読んでほしいのですが、一部、感動で震えたところを抜粋します。

完璧な原稿なんて、絶対に書けない。どこかで手離さなきゃいけない。「文字数は足りているし今の自分にはこれが限界だけれど、完璧とは到底言えない」文章をやむなく納品しなくてはならない時もある(主に締め切り問題)。「いい原稿が書けたから読んでください」っていう仕事は(よほどの大御所じゃない限り)ないのだ。
しかもどんなに完成度が低い原稿を納品して舌噛み切って死にたくなっている時でも(昨日の私です)、それを(編集者さん以外に)口に出すことはプロとしてご法度だ。

つまり、ダサくてもひどくてもとにかく書き続けて現状におけるベストで書き終えて納品して晒されてdisられても言い訳せず反省し反省はするが折れず凹んでも戻ってくる。そして懲りずに次の原稿を納品する。いつかはもっと上手に書けるはずと信じて書く。書くを続ける。

こういうことが、文章が上手い下手より、大事なのかもしれないな。と思う。

ひょっとして、仕事として続けることができるのは、「好きだから」「得意だから」ではなく、「諦めがつかないから」なのかもしれないと、思う。
諦めると言う言葉は「明らかにする」が語源だと聞いたことがある。明らかにできてしまったものは、諦めることができる。だけど、いつまでたっても明らかにならないものは、諦めることができない。

私は、書くことに関してのみ、とても諦めが悪い。

この抜粋した部分は、もうどこまで私のことがわかってくれているの!って思うくらい、一言一句、激しく同意です。そう、私も、書くことや原稿については、とても諦めが悪いのです。上手いとか、好きだからとかじゃないんです。

感受性が強いので、いろんなことで一喜一憂して、喜怒哀楽は激しいタイプではあります。たいていのことは、翌日には気持ちが切り替わっているのですが、原稿についてだけはいつまでも頭の片隅に残っていてなかなか離れない。

まあやっぱり書くのは苦しいです。でもだからこそ、諦められないから、やり続けてるんだなと、自分で腹落ちして、すっきりしました。この記事の執筆者の方に感謝申し上げます。博論の出版までもまだまだ山あり谷ありで苦しいとは思いますが、精一杯、諦め悪く、がんばっていきたいと思います。引き続きお付き合いよろしくお願いします。

写真は、博士号もらった日(3月25日)に飛行機から撮影した島根半島日本海。夕闇迫る空に、漁り火が灯り始めてて、山の稜線のシルエットも美しいなーなんて思ったのを覚えています。しかし、ほんとしばらく飛行機も乗ってないな…出掛けられるようになる日はいつなのか…何より鉄道乗りたい…

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そうそう、松江では、お昼12時になると、それまでは地元シンガーの六子(ろこ)さんの歌が流れていたのに、今は、松江市長による、不要不急の外出を控えてうがい手洗いしましょう、という放送が流れます。呼びかけ大事なのでしょうが、、なんだかまるで戦時中みたいだなと、どよーんとします、、、