自由のドア

島根、ローカルジャーナリズム、ときどき鉄道

ポストコロナ時代の私たちとは〜現代を知り、考える記事9選

新型コロナウイルスで、私たちの暮らしや社会が大きく変わりつつあります。これからどうなっていくのか。もちろん今の時点では仮説だらけなわけですが、ポストコロナについて考えるような記事が最近増えてきました。私も興味があっていろいろ読んでいるので、自分の備忘録も兼ねて、記録しておきます。(気になったところを抜粋してメモしますが、それだけでは意味が通じにくいと思うので、興味持ったらぜひ全文読んでみてくださいね)

前提としてあるのは、コロナウイルスは敵ではないという考え方です。

forbesjapan.com

生き抜くことだけを目指し、友を歓待することをやめ、新型コロナウイルスに感染する可能性を完全に排除しようと差別することは、反対に「生」を破綻させることに繋がるだろう。

 

この前提に基づき、大きく(1)社会・価値観、(2)都市と地方、(3)消費・経済に分けて、興味深かった論考を記していきたいと思います。

 

(1)社会・価値観

 

note.com

まず、知人でもある山口さんの論考から。ポストコロナに限らず、これからどんな時代になるのかを考えるときに、山口さんの考え方はかなり参照しています。誰といるかが大事になるというのは、私もリアルにそう思うので、納得でした。

自分自身にとって本質的だと思える人、ピュアエフェクト(好影響)を与えてくれる人と空間を共にすることが大事です。空間と人は同化してくるので、今後より「臨在(仏教用語で優れた人のそばにいること)」にこそ人たちはお金を払うようになるでしょう。

「個の時代」と言われていますが、私は全くそう思いません。むしろ「個の時代」は終わります。

 

note.com

続いて面白かったのが、コロナ・ピューリタ二ズムという考え方。新型コロナウイルスが人びとの倫理感に与える影響を論じています。ピューリタンプロテスタント的世界観には興味がある(※違和感があるという意味で)なので反応してしまいました。

この時代に求められる適切なマナーとはなにか。「あなた自身がすでに感染している前提でふるまいなさい」である。
 その一方で、こうも考えた。この教えはまるで「原罪」意識の示唆に似てはいないか? 原罪とはキリスト教においては、アダムが神に背いた結果、全人類がそれを継承することになった罪のことである。自身が罪を犯した(感染した)という事実の有無にかかわらず、自身には罪があるという前提で考え、ふるまうことが社会的に要求される疾患は、これが最初のものではないだろうか? 

 

www.iwanamishinsho80.com

もう1つがなんと奥出雲町出身!という藤原辰史さんの論考。この記事で初めて詳しく知ったのですが、著書『分解の哲学』はすごいと聞いていたので、ああ、この人だったのか…と。あるべき社会の姿をはっきり言語化しておられます。

一つの国が文明国家であるかどうか[の]基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である

 

(2)都市と地方

 

kaz-ataka.hatenablog.com

私の周辺では、このテーマに関心を持つ人も多いですが、新しい言葉が出てきました。過疎ではなくて「開疎」。「開放(open)×疎(sparse)」に向かうかなり強いトレンドが生まれるだろうという見立ててです。

開疎化が進めば、このような変化がいわゆる大都市圏でも地方でも起きていく。十分に開疎な空間に住んでいる、働けていると思っていない人は、徐々に開疎な空間に移るか自分たちの空間を作り直していく。住む場所としての土地の価値のヒエラルキーも、単に各地域の都心と言うよりも、開疎で自然豊かなところ、そして都心にアクセスの比較的良いところがベストという風になっていく。

 

note.com

続いてこのブログでも何度か登場したことがある知人の影山裕樹さん。思考が本質的で、いつも参考にしてます。私自身、ポストコロナでは、それぞれの地元を強くする=自分の地元でつながり合い、支え合うことから始めないとなと強く感じていて、まずは自分の地元とはどこなのかを考えなくてはならないのではないかと考えています。表現は違うけど、影山さんが書いておられることと、通底しているように思っています。

それぞれの暮らしがあるローカルにおける情報の往還を促進し、地元に暮らす人同士が、マスメディアから流れてくる情報ではなく、天気の次の話題にローカルの話題が来るようにする。そうして多様な情報環境で社会を満たすこと。そのための戦略としてローカル(主体としての)を定義しているつもりです。


(3)消費・経済

 

courrier.jp

実はこの半年、島根出身の学生たちとゼミ的な学びのコミュニティをつくって、資本主義について勉強してきました(またそのこともどこかで書きたいな)。資本主義の功罪についても思うところがある、というか、やはり新しい何か経済システムを緩やかにでも考えていかないと、ズレやひずみが大きくなりすぎているのではないかと感じていたので、ポストコロナで経済はどうなるか、関心はあります。

人は収入を得るために働かねばならないという原理からの転換だ。そして人はたとえ働けなくても生きられる価値があるという発想への移行でもある。


www.nikkei.com

こちらは鬼気迫るインタビュー。経営者というのはやはり自分の頭で考えて自分の言葉で話す方が多いので、楽しくて勉強になります。が、ここまではっきり言い切る姿勢に、危機感の大きさが伝わってきて、時代が変わる音が聞こえる気がしました。

――国境をまたいだ企業のサプライチェーン(供給網)が分断され、グローバル化の限界が指摘されます。

「逆だ。もっともっと進む。自国にサプライチェーンを全部戻すのはリスクを増すだけだ。

「利益を追求するだけでなく、自然と共存する考え方に変えるべきだ。地球温暖化がウイルス感染に影響を及ぼすとの説もある。自然に逆らう経営はいけない。今回は戒めになったはずだ」

 

note.com

飲食店をはじめとしていろんなお店が休業している中で、リアルなお店がどのように変化していくのか、むしろ、オンラインである程度のことができるからこそ、リアルなお店やもっといえば「場」が持つ本質的な価値が何なのかは知りたいところです。

「合理的ではないところの人間の中にある何か?」に惹かれているのかなとも感じます。リアル店舗は、そういう非合理的な何かに魅力があったと思いますが、それを何か時代に合わせて変換する必要があるなと感じています。


以上、自分の思考の整理でした。過去にもこういう記事まとめはたまにしていて、まあ書くのも楽ではないのですが、でも思考を整理したり、あとで参照したりするのに助かるので。ポストコロナはしばらくのテーマなので、また気になる記事があればまとめたいと思います。

 

terumism.hatenablog.com

 

terumism.hatenablog.com