自由のドア

島根、ローカルジャーナリズム、ときどき鉄道

脱線と雑談の有用性について

今週は大学です。一旦東京から島根に戻り、また大阪に出かけたわけですが、旅の疲れ&たまった仕事の疲れで、この状態でさすがに5時起きでやくもだと、絶対体調不良になる…という予測が簡単につくので、珍しく出雲〜伊丹の飛行機を使いました。それでも朝起きるのつらかった…ただでさえ朝が弱いのに…

さて本題。今日も講義が超絶面白くて、先生が絶好調で脱線、雑談しまくりでした。先々週も書いた「権力を持っていない人間の唯一の抵抗手段は思考すること」でも思ったのですが、心に残った大事な言葉って、結構、雑談とか脱線している中でのことが多いかも!と気付き、今日のタイトルにつながりました。今日の雑談でも「暴力には、殺す暴力だけではなく、生かす暴力もある」という、まあ植民地支配とかのことですね、言っておられて、なるほど!と印象に残りました。

私も人前で講演とか話すことがあります。そのときは、流れを一生懸命整えて、脱線しないように脱線しないように心がけているのですが、もしかして、聞いている側にとってはあまり関係ないのかも??と思った次第です。私の話を全部覚えていられるわけでもなく、前後の脈絡とか関係なく、インパクトある言葉はそれとして心に残るのかも。

大学の授業って90分なのですが、長い!ですよね(笑)でもこの先生の授業(教育哲学)は、だいたい前半10〜15分くらいは、前回の授業で学生が提出したコメントシートに先生が答える形で、いろんな雑談が展開されます。で、60分くらいがみっちり授業。その間にも雑談あるけど。で、終わりの10〜15分くらいが、コメントシートを書く時間です。

コメントシートには、別に出席をとるためではないそうで、主に疑問点や質問を書いてもらうためだそうです。確かに、大人数いるなかで質問あれば手を挙げて発言を、と言っても、なかなかしにくいですよね。この仕組みといい、時間配分といい、さすが!よく考えられてあるなー(なんだか上から目線??)と勉強&参考になります。この先生&この授業ワクワクします。

どばーっと勢いで書きましたが、今日も締切のものを提出したり、最終原稿確認があったりと、引き続きあっぷあっぷしております。明日は島根大で講義!ドキドキ。がんばるぞー!